鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<477>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日~)<477>
2019年4月6日「源平桃の花が咲き」

聖書の言葉
荒れ野よ、荒れ地よ、喜び踊れ。砂漠よ、喜び、花を咲かせよ。野ばらの花を一面に咲かせよ。花を咲かせ、大いに喜んで、声をあげよ。人々は主の栄光と我らの神の輝きを見る。
旧約聖書イザヤ書35章1-2節)

鈴木家の庭には三本の源平桃の木が植えられている。毎年、今頃、3月の末頃から4月の初めころまで、一本の木から赤と白の花が交々に咲き、楽しませてくれる。3月6日から26日まで滞在したスペイン在住の娘の羊子家族は、この源平桃の花を鑑賞したかったのであるが、羊子たちが帰ってから咲き始める。もっともぼつぼつ咲き始めてはいた。羊子が源平桃の花を見つめるとき、彼女は源平桃の姿から、「源平桃」を作曲し、リサイタルで演奏しては皆さんに喜ばれている。同じ木からまったく違う色の花が共存すること、平和の象徴であることを示されて作曲したという。
鈴木家に源平桃が咲くのは私の父の所産でもある。昔、今は住宅になっているが、山の中腹に畑を作っていた。その畑に源平桃の木があった。今は住宅が建ち並び、源平桃の木も無くなっているが、父はその源平桃から苗木を作り、庭に植えておいたのである。苗木は知人にも差し上げているので、この界隈を歩くと、あちらこちらで源平桃の花が咲いている。必ずしも父が差し上げた源平桃ではないかもしれないが、父の所産として眺めている。苗木は檀家でもある寺にも寄贈しており、それが今ではかなり太く、大きな源平桃の木になっているのである。墓参にはその源平桃の木を眺めることも習慣としている。
父が亡くなったのは4月初旬であり、丁度、源平桃の花が満開の頃であった。棺を送り出すとき、その頃は畑にある源平桃であったが、三番目の姉の朝子がその枝を棺の上に置いたことが思い出される。父は源平桃のように穏やかな人柄であったと思う。
その父は金婚式、ダイヤモンド婚式には自ら色紙に鶴や亀の絵を描いてお祝いしていた。子供ながらあまりお祝いしなかったようで悔やまれる。両親が結婚するのは父が33歳頃のようだ。それからダイヤモンド婚式の60年後は、母が90歳にもなっている。母の89歳の時にダイヤモンド婚式を迎えたのであるから、夫婦の鏡ともいえよう。父は母をおくり、97歳まで長寿を全うしている。願わくは両親に続きたいと思っている。今年の3月に我々夫婦は金婚式を迎えたことについては前回も記している。源平桃の花の頃になると両親のダイヤモンド婚式が示されるのである。
鈴木家の源平桃の花はご近所でも楽しんでくださっている。見知らぬ人が写真に収めたりしている。父の所産は多くの人々を喜ばせているが、父の孫が「源平桃」と題して作曲し、各地で演奏していること、父が知人に苗木を差し上げたように、人々の心に源平桃の花をお届けしているようだ。今日もどなたかが「源平桃」のピアノ演奏を羊子のCDで聞いてくださっているであろう。そうすると「源平桃」は羊子が滞在するスペインばかりではなく、イタリア、アメリカ、ドイツ、フランス等、そして日本の各地で花が咲いているのである。この曲の主題「平和」が世界の隅々まで浸透することを祈っている。
 

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鈴木家の庭に咲く源平桃の花

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毎年、3月末から4月の初めに咲き楽しませてくれている。

 

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