鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<466>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日〜)<466>
2018年7月7日「祈りを向けつつ…」



聖書の言葉
だから、あなたが祈るときには、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。
新約聖書・マタイによる福音書6章6節)



今日は七夕ということで、何かとイベントが行われるのであろう。平塚の七夕飾りはかなり賑やかに飾られる。一度、その七夕を見学したことがあるが、何かの会議の時であり、ゆっくり鑑賞することもなく、それでも七夕飾りの通りを鑑賞しつつ歩いたのであった。七夕飾りと言えば仙台が有名である。仙台の北の町、古川市にある教会で6年半の務めをしたが、残念ながら仙台の七夕飾りは見学したことがない。仙台まで車で1時間も要するので、わざわざ出かけることもなかった。むしろ古川で七夕のお祭りがあるので、そこに見る七夕飾りで満足していたのである。その頃、我が家の子供たちはまだ小さかったので、三人の子供を連れては七夕飾りの町通りを歩いたものである。その七夕のお祭りには、必ずキリスト教と称する人々が、「死後、さばかれる」という大きな看板を掲げてねり歩いている。一方、モルモン教の宣教師がお祭りのはっぴを着て、屋台で太鼓をたたいている。モルモン教は、できるだけ町の人々に同化することを目的としているという。そういう人々を見ながら、キリスト教の牧師が家族で七夕飾りを楽しんでいるのである。まあ、とにかく懐かしい思い出でもある。
幼稚園でも七夕の飾りをしている。いくつかの幼稚園を経験しているが、キリスト教の幼稚園としては星に願いを書くのではなく、神様に向けてのお祈りである。だから、キリスト教では、自分の思いを神様に向かって書きましょうということにしている。実際、幼稚園の保護者にはクリスチャンがおられ、七夕飾りにおいて、イエス様に向けてお祈りを書くようにしていただきたいとの要望があった。もとよりそのつもりであったのであるが。豆まきにおいても、クリスチャンの保護者からご意見をいただく。どうしてキリスト教の幼稚園が豆まきをするのかというのである。そのときは、イエス様が悪魔と戦った聖書のお話を引用し、自分の中にある悪い心を追い出すために豆まきをしていることの説明をするのであった。日本の伝統的な習俗に対して、ただ否定するのではなく、キリスト教的に受け止めればよいと示されている。
その七夕飾りは、もちろん我が家ではしていないが、いつも祈りつつ示されていることがある。それはスペイン・バルセロナにいる孫のことである。知り合いから孫の様子を聞かれることがある。今は1歳半になった孫の義也君である。いつもIpadFaceTimeで画面を通して、成長ぶりを示されている。娘の羊子たちは、今まで10年にわたって住んでいた住まいから転居することになった。今まではサグラダ・ファミリア教会の受難の門側を一望しつつ生活していた。随分と知り合いがお訪ねくださっており、リビングから一望できるサグラダ・ファミリア教会に感動されていたのであった。転居した家は、今までの住まいから200メートル位しか離れていないが、サグラダ・ファミリア教会を眺めつつの歩みができなくなったことは残念でもある。しかし、ほとんど生活は変わらないので、サグラダ・ファミリア教会はいつでも行かれるし、実際、羊子はサグラダ・ファミリア教会のミサで奏楽を担当しているので、今までと変わらないとの印象である。
新しい家での義也君が、どんな思いでいるのか知りたいものである。やはり環境が異なるので、慣れない生活になるのであろう。それでも外を歩けば、今までと同じ通りであり、何ら変わってはいない、元気よく通りを歩く義也君を日本の老夫婦は目を細めて見つめているのである。いくつかの仕草も覚え、言葉をかけると、ちゃんと仕草で答えてくれるのである。いずれまた、一時帰国するのであろうが、もうそのときには重くて抱くこともできないのであろう。
バルセロナに滞在したとき、クリスマスの時期であり、通りに飾られたツリーにはたくさんの短冊がつけてあった。いろいろな願いを書いているのであろう。どこの国も、思いは変わらない。短冊を書くわけではないが、心の短冊に孫の健やかな成長を記しておこうか。




サグラダ・ファミリア教会の受難の門側。最近、十字架が取り付けられたという。



おばあちゃんと通りを散歩する。



ミサには出席しているのであるが。



くまさんと遊びつつ。




一歳半になっています。