鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

友烏( へりくだって共に歩み )

 
 NHKの連続テレビドラマ「てっぱん」で、今は「あかり」さんのお父さんが腰痛になり、大変な状況になっています。あまり痛さが伝わってこないのは、腰痛の経験がないからなのでしょうか。腰の痛みは、全身の要の痛みなので、どうしようもないのです。私も過去2度ほど腰痛で入院しています。忘れられないのは古川時代でした。幼稚園で一人でも多くの園児を獲得しようと、マイクロバスを導入して送迎することになりました。導入するものの、誰が運転するのかと言えば、比較的暇そうな牧師の仕事になりました。陸前古川教会では付属の幼稚園がありましたが、園長はしなくてもよろしいことになり、もっぱら教会の職務でした。しかし、マイクロバスを導入するので、牧師がバスの運転をしてもらえないかと言うことになり。矛盾を感じながらも、たいして職務が無いので引き受けたのでした。
 毎日、園児の送り迎えは結構大変でした。それが原因なのかは定かではありませんが、腰痛が出てきました。病院に行きましたら安静にしているべきだと申し渡され、そのためには入院しなさいと言うことでした。昔の病院はしきりと入院を勧めます。今は入院しても、すぐに出されてしまう状況でもあるようです。歩けないほどの腰痛ではないので、必要な物を風呂敷包にくるみ、歩いて病院に行きました。病室は二人部屋でありました。おじいさんが入院しており、挨拶をして病室の友達になったのでした。しばらくしてから看護婦さんが入ってきて、おじいさんに言うのです。「良い人がお隣に来てくれましたね」と言うので、私が牧師だから、良い人と言ったのかな、と思いました。その意味を不思議に思いつつ、夕食を食べ、夜の消灯の時間となりました。やれやれと思い眠りにつこうとしましたら、隣のおじいさんがごうごうといびきをかきはじめました。それはそれは大きないびきでした。うるさくて眠られないのです。それでも気にしないようにするのですが、それは無理なことです。結局、その夜は眠ったのかどうか、ようやく朝になったのでした。目が覚めたおじいさんは「おはよう」とニコニコしながら言ったものです。
 体温を計りに来た看護婦さんに、隣のおじいさんのいびきには参りましたと言いました。それ以上のことは言いませんでした。「実は、今まで何人かの人がこの部屋に来たのですが、一晩で部屋替えを希望したのです」と言うのです。そうでしょう、と思いました。しかし、だからと言って私も部屋替えを求めませんでした。入院時に「良い人がお隣に来てくれましたね」と言われたのは、私が牧師と言うより、このいびきに耐えられそうな人と思ったからなのでしょう。牧師さんだから、耐えると思われたのかもしれません。そうだとすると、これは絶対いびきに耐えなければならないと思いました。入院二日目も、始まったいびきに、なかなか寝付かれませんでした。眠ったのかどうか、重い目覚めでした。今日もおじいさんはニコニコと朝の挨拶をするのです。「お休みになれましたか」と言うのです。なれるもなれないも、おじいさんのいびきで苦しい思いをしているのですが、「ええ、まあ」と答えておきました。「みんな私のいびきで部屋替えをしているんですよ。看護婦さんに言って、そうしてもらってください」とも言うのでした。自分でも分かっているようです。いびきの故にみんな離れて行くことを寂しく思っているようです。こうなったら最後まで付き合うと決心したのでした。3日経ち、4日経つうちにいびきは気にならなくなりました。部屋替えを希望しない私に看護婦さんが言ったものです、「さすがですね」と。3週間くらい入院しましたが、おじいさんより先に退院することになりました。よく耐えてくれましたね、つくづくおじいさんに御礼を言われたものです。
 腰の痛みを覚えると、いつも昔のことが甦ってきます。だから、人とのかかわりで、腰の痛みを思い出せば、何とか共に歩むことができると言うことになるのでしょう。
<聖書の言葉>
人よ、何が善であり、主が何をお前に求めておられるかは、お前に告げられている。正義を行い、いつくしみを愛し、へりくだって神と共に歩むこと、これである。
(ミカ書6章8節)